蛾の物語

『禁猟の ふれが解かれし鈍色の 野に眩ふせる 少年と蛾と』


パンッ。

───また、だ。また一つ、命を奪う音が響いた。

パンッ。パンッ。

───乾いた銃声は止まない。

ダァンッ…!

───もう、聴きたくない…。

少年はぎゅっと目を閉じ、強く強く耳をふさいだ。
ああ、もう狩りの時期…決して慣れることのできない猟銃の音。
そのたびに命が失われていくのかと思うと、
ひどく心が痛み、目頭が熱くなる。
霧と涙で霞む一面灰色の野原に、銃声は絶えることなく響き続けた。
少年はしゃがみ込んで、背を丸くする。
また一つ、遠くでこだまする残酷な音から逃れるように。
大きな木の幹にもたれかかって、ただ一つのことだけを祈った。
───も う や め て───

…ふと、何かの気配を感じた。
『どうしたの?』

 

 

ヒト?人間の少年、だ…。
どうしたの?
何故こんな所で、君は一人泣いている?
少年は、ふと顔を上げた。涙が頬を伝っていた。
目が合ったような気もするが、わからない。
まるで「孤独」という服を着ているように、
その顔は儚く壊れやすそうで、
自分はそっと近寄ることしかできなかった。
『友達が殺されていく』
少年は再び泣き顔を膝に顔を埋め、震える声で呟いた。
殺されていく?どういうことだろうか。
自分も木にもたれかかり、少年の横に落ち着いてみる。
『もう嫌なんだ。僕には、この山に住んでいる動物たちしか友達がいないのに。
人はどんどん銃で動物たちを殺していく。あの音、あの音だ…』
パン、パン、と絶え間なく続く、何かが弾けるような音。
知っている。ヒトが使う道具の音だ。
それが聴こえるたびに、少年は小さな肩を震わせた。
同じ木に体を寄せているモノとして、伝わってくる。
怖いのだ。この少年は、あの音が怖いのだ。
自分に向けられているわけでもないのに“あの音”が。
『あの音が僕の友達の命を奪う!嫌なんだ!あの音が嫌なんだ!』
少年は泣き叫んだ。その声は広大な鈍色の野原に溶けて消え、
けれども“音”は一向に止まない。
『怖いよ…もうやめてよ…』
少年はか細く、心の声を絞り出した。
痛い。
大丈夫だよ、とは言えない。言ってあげられない。
ただ黙って聞くことしかできなかった。
『僕の友達がいなくなっちゃう…』
残酷な現実が、優しく純粋な少年の心を潰していく。
『こんなに怖くて寂しい世界なら、いっそひどい人間なんて、
みんな消えてなくなってしまえばいいのに…
僕は、こんな自分が大嫌いだ…誰も僕を知らない』
優しすぎる少年は、受け入れられない現実に傷ついて、
自分ごと世界を否定している。
優しい人間ほど、こうして自己嫌悪する瞬間を、今までたくさん見てきた。
この少年も、その一人だった。
『でも自分のことぐらい、自分が一番よく知ってる…』
それは違う。君は、自分のことしか知らない。
でも僕は、千人の人間を知っている。
木から離れて少年の前へ行くと、少年はまたふと顔をあげた。
今度は目が、合っただろうか?
少年は瞬きを繰り返している。
そんなにこの姿は不思議かい?
そうだろうね。何せ僕は、君より百倍以上長くこの世にいる。
だから知っているんだよ。
君が厭うひどい人間も、君のような優しい人間も、
いろんな「ヒト」がいることを。
廻り廻って見てきたんだ。
でも君を見ていると、つくづく思うよ。
ヒトとはかくも、自分を否定したがる生き物だ、と───

 

 

銃声が止んだ。
目を閉じ耳をふさいでいる間に、狩りの時間が終わったのか…
誰かと話していた気がする。
でも少年は、もうずっと久しく人間と会っていない。
誰とも会っていない。きっとこれからも、誰にも会わない。
狩りの時期が終わるまで、友達が殺されていく音をただ聴くだけ…
そんな明日を憂える少年の膝から、
一匹の蛾が飛び立った。