蟻の物語

『この世には 人言繁し 来む世にも 逢はむ我が背子 今ならずとも』


「其の方たちは、まことによく働くな」
───などと、気安く言いおって。この道楽者が。
働かざる者に、働く者の何がわかろうか。
「その懸命な姿を見ていると、こうして上座に鎮座しておる己をほとほと恥に思う」
今さら何を言うておる。そなたはそれが常であろう。
だというのに、気まぐれで知ったふうな口をきくでないわ。
「怒っておるな」
優雅な着物をまとい、烏帽子を被った器量良しの男は、見透かすような眼を向けてくる。
「わたしには其の方が、まるで小娘のようにさえ見える」
ほう、そなたはわらわを小娘と思うか。まこと可笑しき言の葉よ。
生意気至極な青二才じゃが、気に喰わんでもない。
若輩者のわりに、毎日わらわたちのことをよく見ておるではないか。
ヒトの王とは、老若問わず威厳ばかりを掲げ、下を顧みぬと思っておったが…

───あちらが気まぐれなものだから、こちらも気まぐれに笑ってみてやろうと思った───

ふと、地平が揺らいで傾く。
『汚らわしゅうございます』

 

 

「若様!またそのようなモノとお戯れになって…」
きん、と響く高い声。若き王は、この聞き慣れた侍女の叱咤に内心うんざりしていた。
開いて水平にしたまま目線まで上げていた金の扇子をチラとも動かさず、聞こえないふりをする。
「若様!」
甲高い声の主は、よりいっそう声を高くして若き王に近寄った。
「聞こえているよ」
「ならばそのようなお戯れ、お止め下さいませ」
侍女は、扇子を持つ若き王の手をそっと掴んだ。
扇子がぐらりと傾いて、上に乗っていた小さな黒蟻が、ぽとりと土の地面に落ちる。
「汚らわしゅうございます」
「何故だ。其の方らと同じ、働き者ではないか」
「地を這うムシなど、若様のお手を汚すだけにございます」
落ちた蟻は、列を作る同類の群に戻ろうとせず、何かを惜しむように若き王の足元に留まっていた。
侍女はそれを心底汚らわしそうな目で見据え、くるりと踵を返す。
「若様の道楽には、殿も呆れておりまする。お戻り下さいませ」
ごく自然な仕草だった。侍女の去らんとする道に蟻がいることなど、誰が気をつけようか。

 

 

…やれやれじゃ。折角、そなたの目線まで掬い上げられたというに…。
この機を逃せば、最早我らが逢うことなど二度とないであろう。
そう思い、別れ惜しむらくそなたの下へ留まったのじゃが…どうにもこの縁は成就しそうにない。
何せ、この世は人の騒音に満ちておる。声といい足音といい。
砂利を踏む音が耳に障るの…これでは落ち着いて心など交わせぬ。
せめて現世で聞く最後の音が、そなたの声であればよかった。じゃが然し、
これも運命というならば、甘んじて受け入れようぞ… また、来世で逢えるな?

 

見上げた視界が一面、黒い影に染まる───