『佐保神の 別れかなしも 来ん春に ふたたび逢わん 我ならなくに』
『何でこんなに気持ち悪いわけ?』
『痛みとか感じるのかな』
『知らないよ。私たちとは違うんだから』
───私 タ チ ト ハ 違 ウ ン ダ カ ラ───
はっ、と少女は顔を上げた。
膝を抱え込んで項垂れている間に、うたた寝してしまったらしい。
夢、ではなかった。
乱れた髪、肌のあざや傷、そして何より心の痛み…全てが現実(ホントウ)で
夢、ではない。
少女は泣く気力もなくうたた寝してしまうほど、
先ほどまで同じ年の頃の少女たちにいじめられていた。
理由はない。でも彼女たちが投げつけた言葉という暴力の中に、
それらしいものはあった。
「…何よ」
少女はそれまで、一切の抵抗をしてこなかった。
「……何よ」
ただの一言さえも言い返さず、ひたすら黙って耐えていた。
「………何よっ!」
突然、怒りが込み上げてくるのか、少女はいつも独りになってから叫ぶ。
ぶつけようのない悔しさと、やりどころのない悲しさが、少女の虚ろで寂しい目を、
いつしか日に日に憎しみで染め上げられたものに変えていく─…
痛い。叩かれたり、物を投げつけられたりして、体中のあちこちにできた傷やあざ。
痛い。蔑まれたり、言葉で侮辱されたりして、心のあちこちに刻まれた孤独。
心も体も、ぼろぼろだった。やり返してやりたい…
そんな色に、少女の瞳は染まりつつあった。
だがしかし、本当はとても大人しく心優しい少女は、
悲しみを憎しみに変えるのではなく、最後にはいつも、自己嫌悪で終わらせてしまう。
「寒い…」
暖かい春を待つ冬の寒さの中にあって、少女は孤独という名の極寒を乗り越えられずにいた。
(このまま眠って、死んでしまいたい…もう、起きたくない………)
『駄目だ』
ふと、そんな声が聞こえるような気がして、少女はいつも眠れない。
空耳に、いつも起こされる。
ヒトってのはどうしてこうも悲しいもんかね?
何というか、やりきれないもんだ。
悲しみはいろんなものを生む。憎しみ。優しさ。
方向は180度違うってのに、悲しみから生まれるそれらはどれも、
一歩間違えりゃすごい変化を遂げるからな。
悲しいからこそ憎んでしまうのは当たり前だろう。やり場がなけりゃ尚更な。
だが、悲しみを知っているからこそ優しくなれる奴は、どんな生き物も強い。
ヒトも…ムシである俺もな。多分だ、多分。
同族から虐げられて、今まさにこの世を儚んでいるヒトの少女。
わかるよ、とは言えないだろうな…
蟋蟀は、草陰からその様子を見て回想する。
『何でこんなに気持ち悪いわけ?』
『痛みとか感じるのかな』
『知らないよ。私たちとは違うんだから』
───やめてくれ。
人間の、特に女子…ことさらに自分たち「ムシ」を何故か嫌う。
自分たちより遥かに小さいというのに、何を恐れて攻撃してくるのか。
過剰な嫌悪感に、蟋蟀は昔、投げつけられた石で右目を潰された。
…ってなこともあったな…痛かったよ。そりゃあ痛かった。体はもちろん、心も、な。
右目は、治るどころかもう戻らない。
でも、やってる方からすりゃわからないんだろう…そう、ここだ。
ここを怒りで捉えるか、見方を変えて受け流すか、
多分ここで、虐げられたモノの心が分岐するんだろう。
俺は後者だった。だからといって、俺が強いとか心が広いとかいう意味じゃない。
俺はヒトから受けた傷だ。種族があまりに違いすぎて、理解できなかっただけかもしれない。
だが、俺が草陰から見ているヒトの少女は、同じ「ヒト」から攻撃されている。
同族から理由もなく攻撃される痛みは、同じ虐げでも全く違うものだろうから、
俺には「わかるよ」とは言えないんだ。
でも、俺は叶うなら、一つだけ目の前の少女に問いたい。
「君は春を待たないのか?」と。
どうせ死ぬなら、せめて佐保神と呼ばれる春の女神に逢ってからでも遅くはないんじゃないか?
でもせっかくだから、この厳しい冬の寒さを乗り越えて出逢えた暖かい春に、
君はもう少しだけ別れが惜しくなるかもしれないだろう?
生きてくれ。もう春はすぐそこまで来ている。
悲しみを乗り越え、憎しみを捨てて、春まで生き延びてくれ。どうか
俺も、君も───